はい、今回は雑記でございます。

人はみんな何者かにならなくてはならないのかな

なんてことについてふと考えていました。

同年代で活躍している友人知人を見たときや、尊敬する人物、すごい作品に出会ったとき、人は憧れを抱くものですよね。

自分自身を振り返ってみても、「今のままじゃダメだ」「自分はこんなもんじゃない」といった気持ちになることってたまにあるのだよね。

特に20代前半はそんなギラギラした?感情が強く、毎日なんとなく焦燥感を感じていた覚えがあります。

「何者かになる」ことは素晴らしいですが、一方でそのことだけを追い求めると、辛く苦しい気持ちばかり感じてしまうのではないかな、とも思います。

今回は雑記となりますが、人から憧れを得るような「何者かになる」ことについて、私自身が感じていたこと、そして今感じることをつらつらと書いていきますね。

 

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何者かにならなければという焦燥感

自分が何も成し遂げていないとき、また成し遂げるような兆しもないとき、「このままじゃいけない」という焦燥感が芽生えるものです。ただ淡々と日々を過ごすことにどこか焦りを感じ、日々物足りなさや退屈感が伴ってしまうのだよね。

少し話が変わりますが、実は心理学において、子供と同じように大人もヒーローのような輝く存在に憧れることがわかっています。

いわゆる同一化という心理で、憧れの対象を作りその人物の真似をすることで人は自分に自信を持たせようとします。これは自分自身への劣等感や自信のなさ、不安の裏返しでもあります。

また、他人から認められたいという承認欲求は人の根源的な欲求であり、承認欲求が強い人ほど、憧れの対象になりたいと感じるようです。

「何者かになりたい」のは、自分自身の劣等感を解消したいという向上心や、周りから認められたいという承認欲求が生み出す感情の表れなんだと思います。

何者かにならなくてもいいのではないか?

自分への劣等感が大きい人、承認欲求が強い人ほど、何者かになろうとすることで不安を払拭し、欲求を満たそうとします。

だからこそ逆に、何も成し遂げられない状況があると、理想と現実とのギャップに苦しんでしまうのだよね。何者にもなれない自分はダメなやつだ…と自分を責めてしまうわけです。

何かを成し遂げ、憧れの対象になることはすごいことですが、私が今思うのは、無理に何者かになろうとする必要はないんじゃないかということ。

こんなことを言うと悟りっぽいけれど、人は本来的にはただ生きているだけであって、もし目的を定めるとするなら、幸せになるために生きています。

大きいことを成し遂げたから良いとか何もしないから悪いとかってルールはそもそもないわけで、別に何かを遂げなくても自分を否定する必要はないわけです。

冒頭でも書いたように、自分の力によって何かを成し遂げることは素晴らしいことで、それにむかって努力することも素敵だと思います。

世の中には何かを成し遂げる人、その人をサポートする人、自分の楽しみを見つけて生きる人など、「みんな違ってみんないい」のではないかなと感じるのだよね。

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自己実現については追求していくべき

既述したように、何かを成し遂げるだけが人生ではありません。しかし、生きる上で幸せになることは大事です。

だからこそ、他人への影響力は置いておいて、自分らしく生きること、つまり自己実現はすべきだと考えます。

大きな影響を与えることは難しいけれど、身の回りの小さなことを達成することは可能ですよね。自分ができる範囲で小さなハードルを越えていったり、やりたいことを見つけて実行する、そうすることで自己肯定感を養うことができ幸福度につながっていきます。

必ずしも大きなことを成し遂げるだけが幸せなのではなく、自分ができる小さなこと、やりたいことを実践していくことでも十分幸せに近づけるのですよね。

まとめ

…以上、雑記でした!

自由に自分の意見を発信できるのもブログの良いところですよね。

需要があるかはわかりませんが、今後も役立つ記事と合わせて、こんな感じでゆるく考えなんかを発信していきたいと思いますよ。

ではまた!

 

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